麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

DBとAIは「裁判ガチャ」を解消できるかもしれない

先日の読売新聞(令4年6月25日)で、民事裁判の全データをデーターベース(DB)化するという法務省の構想が報道されていました。これを読んで私は、DBが出来てさらにAI(人工知能)が利用されれば、「裁判ガチャ」が解消できるかもしれないと感じました。
依頼者は弁護士を選べますが、弁護士は裁判官を選べません。当然「当たり外れ」がある訳で、ちょうど「親ガチャ」のような「裁判ガチャ」が生じます。
当事者の話をきちんと聞いてくれないまま、形式的に法律を当てはめて、安易に結論を出されると、「外れだ」と嘆きたくなります。

どんな事業でも利用者が半減したり3分の1に激減してくれば、「衰退産業」となっているんじゃないか、何か構造的な問題がありゃしないかと心配になるところでしょう。
ところが裁判所というところには、そういう危機感はないようです。
過払い金バブルで消費者金融への訴訟が頻発していた平成21、22年ころの全国の裁判所での訴えの新件受理件数は、地方裁判所(地裁)と簡易裁判所(簡裁、140万円未満を扱う)は合わせて90万件でしたが、令2年では地裁と簡裁合わせて45万件と半分です。
特に地裁の年間受理件数は13万件と3分の1になっていて、30年前の水準に戻っています。
この減少傾向はさらに進んでいます。
この間、日本社会の中で民事紛争が減ってきているとはとても思えません。

日本では、裁判は時間がかかり遅いので避けられていると言われていますが、実は裁判は迅速化が進んでいます。
それでも裁判所に足が向かないのは、裁判所が親身になって当事者の話を聴いてくれないからではないかと私は思います。
弁護士は依頼者の話を聴くことからスタートしますので、面談なしに書面、書面で審理を進める今の裁判所のやり方では、裁判官がますます依頼者の声から遠ざかるのではないかと気になります。

裁判官には、「リアルな今」の紛争を解決しようというヴィヴィッドな意識で取り組む姿勢が欲しいところです。
インドとオランダには、紛争現場のリアルな今を汲み上げて解決してくれる裁判官がいます。
女性の文化人類学者池亀彩さんの「インド残酷物語」(集英社新書)によると、インドでは、地方でのもめごとは「グル」という宗教上の指導者が解決します。
正式な裁判の方は「裁判までしているんだ」という言い訳のためだけに使われます。
グルの裁定は「速く安く効果が高い」のです。
グルの裁定には皆が従うし、行政的な問題も大臣に電話してすぐ解決する、という具合です。
早いし誰も納得がいく。しかもこの制度は正式な裁判ではないが仲裁として公認されています。
文字通り「生きている今」の社会の紛争解決に役立つ制度です。
他方、オランダで商社の駐在員だった塚谷泰生さんは、ヨーロッパでは裁判所や警察が日常的で、すぐ訴えるし、すぐ警察を呼ぶといいます。
オランダでは裁判官がきさくに話しかけてフィクサーの役目を果たし柔軟な解決をしてくれるという、まさに身近な裁判の様子を伝えています(ピーターバカランさんとの共著「ふしぎな日本人」ちくま新書)。

日本でこれをやれと言うのではありません。
DB化とAIの利用によってこのような「面談での和解」方式を、裁判所がもっと取り入れられるのではないかと思うのです。
人間の間の紛争ではどっちかが100%悪いということはあまりなく、たいていは6:4とか8:2など違いはあっても、双方に言い分があるのが普通です。
だから裁判で争うのです。紛争は裁判所で十分言い分を聴いてもらう必要があります。
その上で、裁判官がデータに基づき客観的に予想される公平な結論を前提に、和解による中間的な解決を勧めるのが望ましいと私は思います。
その成功例が「労働審判」です。
「労働審判」制度は、類型化した労働分野の判例の蓄積で、裁判官の和解のイニシアチブが確立しています。
円卓形式の面談で審理し、予想される結論に基づいて和解が進められ、早期に紛争解決ができています。
この制度は平成18年にスタートしましたが、平成21年以降は受理件数が年間3000件を超えており、令和2年では3900件にも達しています。この受理件数の増加こそ、労働審判が期待される紛争解決方式だという証拠です。
 

一般の裁判は多岐にわたり多種多様ですが、膨大な裁判例もDB化で類型的な前例を集積しAIが分析整理して、さらにAIが裁判の展開を予想するようになれば、それが客観的な判決・和解の判断材料になります。
そしてそれを背景に、裁判官は和解案が出しやすくなるでしょう。「労働審判」の例は参考になります。
小型ブティックの成功に学んで、大型店舗の経営不振を改善するようなものです。

弁護士は依頼者の話を聞いて紛争を解決すべく裁判を起こすのですが、肝心の裁判官が聞く耳持たずでは、がっかりです。
裁判官の人間性の変化を期待するのは難しいですが、どんな裁判官にあたっても同じ結論になる仕組みがあれば「裁判ガチャ」は解消されるでしょう。
DB化やAIの利用が進めば、外部からでも、ある程度客観的に判決の結論は想定できるようになります。
そうなると、どんな裁判官でも偏りのない和解案を出さざるを得なくなるでしょう。
囲碁のAI普及による利用の広がりの速さを見れば、裁判所のDB化とAI利用の実現はそう遠い将来ではない気がします。