麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

コロナ禍で弁護士業が繁盛ですって?

コロナ禍が生んだのは、ヒマと「巣ごもり需要」です。
そのためネットフリックスなどネット配信業者は大繁盛です。
そして、このヒマのおかげで弁護士業が繁盛しているらしい、というのがタレントの清水ミチコさんの話(朝日新聞令3.9.24夕刊「まあいいさ」)。
彼女によると、人々がコロナ禍でヒマになったので、昔の辛かった記憶や悔しさが自分のなかでぶり返しはじめ、決着をつけたくなって、弁護士のところへ、ということらしい。
ネタとしては面白けれど、実際どうかは疑わしい。
私のところにこの手の相談が来たら、「お止しなさい」とアドバイスします。
まず、その当時は裁判を起こそうとは思わなかった、つまり大したことが起きた訳ではなかった、というのが第一の理由。
次に、昔のことなので当時どういう状況だったのか証拠が乏しくなってきて、こちらの言い分の立証は簡単ではない。最後にこれが肝心ですが、仮に裁判で勝っても大してお金が取れる訳ではない。取れても弁護士費用にも満たない金額のことがほとんどでしょう。
清水さんのアドバイスは、人間の感受性や感情は身体性に負けるのだから「怒りにまかせて走りだせ」、それが弁護士のところにいくよりまし、という結論です。健全な意見で、私も大賛成です。 
 
この話の教訓は、人間はヒマだとろくなことを考えない、ということ。「人間の不幸はただ一つ、部屋の中にしずかにとどまっていられないことに由来する」とはパスカルの言葉です。
「小人閑居して不善をなす」というけれど、小人でなくてもヒマなことは誰にとっても良いことではありません。
しかし「ヒマ」はもともと人間の不安に対処するために、脳がたくさんの組織を抱え込んだことの反動から生まれたのではないでしょうか。野球に例えると代打やリリーフ投手の話です。
野球の試合では途中で何が起きるか不安です。
だから、いざというときに備えて、代打やリリーフを用意します。
しかし彼らは出番がなければヒマです。
人間も不安を抱え、脳には常に緊急事態に対処するために、予備メンバーをそろえた余裕の組織が必要なのです。
脳の組織はたくさんあって余裕がある、だからヒマも退屈も生まれたのではないか、と思います。

脳はもともと、たくさんの知覚領域をすべてラインアップした組織を必要とするのです。
それが分かるのがジュリオ・トノーニらの「意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論」(亜紀書房)です(この本は堀内勉「読書大全」の「人類に歴史に残る200冊」の一冊)。
この本によると「意識がある」とは、脳の「全領域」が活性化し、脳が情報を統合している状態です。
脳は外部からの刺激を受け取ってから、すべての可能性をチェックします。
例えば「暗い」という判断をするには、無数の他の可能性をすべて排除し、そのうえで「これだ」と結論を出さなければなりません。
それには、脳の「全領域」が活性化し、かつ統合されていることが必要です。
つまり、脳は全体が待機している状態でなくてはならないのです。
しかし、常にすべての組織が反応している訳ではなく、ヒマな組織も生まれます。

バレット博士によると、脳の役割は、身体が遭遇する危険に対処するために、身体エネルギーの予算を管理することです(リサ・フェルドマン・バレットの「バレット博士の脳科学教室71/2」紀伊国屋書店)。
例えば、相手のことが分からないと、不快を感じつつ余分な努力をしなければなりませんから、脳は身体予算から多めのエネルギー資源を引き出します。
危険な目に会うと、脳は身体エネルギーをどんどん消費して対処しろと体に指示します。
普段は、いざというときにエネルギーが不足しないように、食事を取れ、休憩せよといってエネルギーを貯蓄させます。
これも将来の危険との遭遇に対処するための脳の機能です。
しかし人間は、常に危機的な状況にある訳ではありません。

人類が森や原野で狩猟採取生活をしていた頃は危険に取り囲まれ、脳内ではエネルギーを消費して危険に対処しろとの指令がしばしば出され、脳はフル稼働で大忙しだったでしょう。
農耕生活が中心になった人類が、危険にさらされることが少なくなると、脳のエネルギー管理にも余裕ができます。
そうなると、脳は「ヒマだ」と意識するようになったのではないか、と思います。

パスカルは「気を紛らすことは世間の人々にはそれがないと惨めになるほど、必要なものである」、そして、そのこと自体が人間の惨めさの証拠で、この惨めさは神への信仰に頼る以外に救われない、と指摘しました(「パンセ」中公文庫)。

これに対し、現代の人々は「スマホ神」に「ヒマの救済」をしてもらっています。
「スマホ神」様への「ご奉仕」のために、脳は毎日、組織も機能もフル回転で多忙を極めています。
しかしそれでは、本来危険に備えるべき脳の余裕をなくしてしまいます。
「歩きスマホ」は危険なジャングルを、周囲を見ないで歩くようなものだと教えるポスターは、この危険を見事に表現しています。
ヒマを感じるのは、脳にとっては自然ななりゆきです。
しかしヒマの放置は良くありません。
余計な心配や怒りを感じ始めたら、清水さんのアドバイス通り、まずは体を動かすことです。
その作業で脳は忙しくなりますから。
脳を適度に忙しくしておけば、弁護士のことなど思い出すヒマはなく、平穏な日常を過ごせるでしょう。
弁護士が必要なときは嫌でも、また、どんなに忙しくても思い出しますよ。