麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

教育は高齢期のための最良の備えである

これは今から二千三百年以上も前のギリシャの哲学者アリストテレス(前384~前322)の言葉ですが、今の高齢化社会にぴったりのアドバイスです。
「教育によって知識や教養をたくさん蓄えておくと、活動が限られがちな高齢期になっても楽しく充実して過ごせるよ」と教えくれます。

アリストテレスは西欧では長く忘れ去られていましたが、イスラム文化圏で大切に保存されてきた著作が12世紀にスペインで再発見され、西欧文明の中に復活しました。
アリストテレスが、長い時間や多様な文化に隔てられても、読者を刺激し鼓舞してきた鍵は、教育を目的とした彼の率直な文体にありました(リチャードEルーベンスタイン著「中世の覚醒 アリストテレスの再発見から知の革命へ」ちくま学芸文庫)。
アリストテレスのこの言葉も、教育者らしく、率直で役に立つ助言です。

私は、海外ミステリーのシリーズ最新作を楽しみにしています。
しかし、ミステリーの人気シリーズも、長期間続けるとマンネリ化は避けられません。
第一、主人公が高齢になります。マイケル・コナリーの「ハリー・ボッシュ刑事」もジェフリー・ディーバーの「リンカーン・ライム捜査官」も登場から20年近く経って、ミステリーの主人公としてはいささか年を取り過ぎ、先行きが不安です。
でも作家には、新シリーズで再出発して、やり直すという手があります。
コナリーは「女性刑事レイネ・バラード」、ディーバーは「名探偵コルター・ショウ」という若くて溌剌とした主人公のミステリー・シリーズを始めました。
一方、実際の我々の人生では、高齢になるともはや、やり直しも変身もできません。蓄えたものを使っていくしかありません。

ミステリーを読むのは、スポーツの試合を観るのとよく似ています。
どちらも結末が気になりますが、読者や観客にできることは、見事な解決、あるいは勝利の幸福な瞬間を期待しながら、ストーリーを読み続け、試合を観戦し続けることだけです。
この我慢の「道のり」先で、「ミステリーの謎のスカッとした解決」、「味方チームの勝利で試合終了」に出会えれば、最高の気分でしょう。
でもミステリーやスポーツ観戦の楽しみは、結末だけにあるのではありません。
ストーリーや試合の途中の「道のり」では、「わくわく、ハラハラ、ドキドキ」という気分も味わえます。
そして途中のこの「道のり」では、旅行と同じで、「知識」を道連れにした方がもっと楽しいのです。
スポーツの試合を楽しむにはルールや選手などの知識が役立つように、ミステリーも知識があった方が楽しめます。
そしてミステリーのなかには、知識をひけらかす「衒学ミステリー」と呼ばれる、ちょっと嫌味なものもあります。

ローラン・ビネの「言語の7番目の機能」(東京創元社)は、実際に1980年に起きたフランスの有名な思想家ロラン・バルトの交通事故死について、「言語の7番目の機能」に関する秘密文書を持っていたバルトはそれを狙われ殺された、というフィクションに仕立てています。
「記号学」をテーマにして謎を解いていくミステリーですが、フーコー、ドゥルーズ、ラカン、デリダ、エーコ、サール、アルチュセール、サルトルなど1980年当時のフランスを中心とした現代思想の花形スターたちを実名で総登場させ、とことん戯画化しています。
こういう名前を知っているだけで楽しめますが、彼らの著作をちょっとだけでも齧っていると、この本が有名思想家たちの特徴を巧みに捉えたパロディになっていることがわかります。
「こんなのあり?」と言いたくなるような恐るべき怪作ですが、こういうものも、ある程度知識があった方が、よりいっそう楽しめるという一例です。
ちなみに、アリストテレスは、この本で主役級の活躍をするイタリアの記号学者エーコの傑作ミステリー「薔薇の名前」(東京創元社)では、隠された主役となっています。

高齢期になれば、若いころのように苦労して知識を詰め込むことはできませんし、その必要もありません。
これまでの知識の蓄えを取り崩して使えばいいんです。
蓄えて身に付けた知識や技能があれば、それを自由に使って楽しむ、高齢者には「この手」があるのです。
書物だけでなく音楽も美術も、知識が増えれば増えるほど楽しみが倍化します。
まさに高齢期向きの楽しみです。アリストテレスの言うとおり「教育の根は苦く、果実は甘い」のです。

白土三平の忍者マンガ「ざしきわらし」は、「面白くて、ためになる」名作です(「現代マンガ選集・侠気と肉体の時代」ちくま文庫)。
ダンズリ(うさぎ)と呼ばれた下忍の小助も高齢になり、身に付けた忍法「月の輪」という秘術を教えろ、と上忍から迫られます。
秘術を教えてしまえば、あとは「用無しだ」と見捨てられると悟った小助は、「抜け忍」となって、ある農家の屋根裏にすみつきます。
そこで伝説の「ざしきわらし」として、ひそかにこの一家の子供ゲン太の手助けをします。
そして、一揆の首謀者の家族として追われるゲン太一家の逃亡を助け、忍法「月の輪」を使って追手の武士の一団を全滅させます。
小助は自らも果てますが、満足した最期を迎えます。
抜け忍にならなければ、せっかく身に付けた秘術も、死ぬまで自分の思うようには活かせなかったでしょう。

私も「さあ、世間のしがらみを捨て去って、今こそ自由に『秘術』を披露するぞ!」と言いたいところですが、残念ながら高齢期になった今でも「秘術」と呼べるものは身に付いていません。
でも「秘術」は使えない代わりに、高齢者には、それまでに蓄えた知識を気ままに使うという楽しみがあります。
私もこのコラムで、蓄えた知識を自慢げにひけらかさせもらって「果実の甘さ」を楽しんでいます。
高齢期でも人生の旅はまだまだ続きます。
残り少ない旅路ですが、知識という「果実」の道連れがいれば、きっと楽しい道中となるでしょう。