「士族の商法」から「士魂商才」へ
私は、かねがね若い弁護士に3つの力を身に付けろ、と強調しています。
あきらめないで進む「戦士力」、徹底的に調べ考える「学者力」、依頼者に寄り添う「商人力」、の3つです。
弁護士のように「士」がつく職業は俗に「サムライ」業と呼ばれますが、この「士」は代議士・建築士などの「士」と同様に「特定の資格者を公認された人」を示します(「大辞林」三省堂)。
白川静「字通」(平凡社)によると、「士」の字形は「鉞(マサカリ)の刃部を下に置く形。その大なるものは王。王・士ともにその身分を示す儀器。士は戦士階級。」とあります。
紛争で依頼者のために戦う弁護士には、「士」の成り立ちにある「戦士力」という精神が欠かせませんし、資格者であるための専門的な学識をもつ「学者力」も不可欠です。では「商人力」はどうか。
どうも「士」という名称が、弁護士業の「商=ビジネス」という面を軽視させているのではないか、と思います。
弁護士制度は明治5年の「司法職務定制」で「代言人」としてスタートし、明治9年には「代言人規則」が制定されました。最初の「弁護士法」が成立したのはやっと明治26年になってからでした。
「弁護士」の名称の由来については、「代言人」制度から弁護士法に移行するに際し、明治8年に刑事弁護の嚆矢とされる「弁護官」が官吏から任命されたのが先例となり、官吏ではないので「士」とされた、とあります(高中正彦「弁護士法概説」三省堂)。
代言人の「人」は、現在の司法分野でも「公証人」「刑事弁護人」のように使われます。この場合の「人」は、案内人・仲裁人のように「何かをする人」を示す使い方の例です(大辞林)。
なぜ「人」から「士」になったか説明はありませんが、資格者という面を強調したのでしょう。
また、「代言人」には「三百代言」のように弁護士の蔑称と結びついたイメージがあったので、これを避けた意味もあるでしょう。
「士」が資格者を表すのは「武士」に由来すると考えられます。
「武士の起源を解きあかす」(桃崎有一郎、ちくま新書)によれば、武士は、宇多天皇の時代(在位887-897)に、儒教の礼思想の身分体系「王・公・卿・大夫・士」によって、その末席に当たる「士」の地位を認められて「武士」が誕生しました。
官僚ではないから「武官」ではなく、また単なる「武人」でもない、いわば支配層の末端の資格を認定された者が「武士」となったのです。
「士」と同様に職業名で末尾につく語に「師」があります。
医師・看護師・美容師など、こちらも資格者のようですが、この「師」は「技術者・専門家」を指し(大辞林)、技能に注目しています。
講釈師とか詐欺師とか使いますから、これは資格とは関係ないですね。
ちなみに中国の弁護士は「律師」で、これは「法律の専門家」の意味になります。
中国では「士」は「士大夫」を示し、これは官僚そのものです。
中国は古くから「士」と「庶」の身分が隔絶した二元社会で、それは現在まで通じている根強いものだ、と指摘されます(岡本隆司「腐敗と格差の中国史」NHK生活新書)。だから、中国では民間人の弁護士に「士」は使わないのでしょう。
明治維新で封建社会の身分制度が大転換されるまでは、多くの武士は「士農工商」の身分秩序に安住し威張って暮らしていました。
しかし、江戸時代末期にはすでに市場経済が発達していて、武士もそれへの対応を迫られていたのです。江戸時代後期の儒学者、海保青陵(1755-1817)は、その著書「稽古談」の中で、武士が商売人を蔑む気風を厳しく批判し、自由な市場活動を通じて大名同士が競争するよう促しました。
「うりかい」によって身を立てているのは小商人も武士も同じだというのは、先見の明のある指摘です(苅部直「日本思想史の名著30」ちくま新書)。
明治時代になって、武士は「平民」の上に「士族」という身分を与えられました。
俸給はないので何か生計を立てなければなりませんが、士族という身分に胡坐をかいていては、商売がうまくいくわけはなく、「士族の商法」と揶揄(ヤユ)されました。
令和の改元に伴って新しい一万円札の顔となる渋沢栄一は、豪農出身の明治初期の実業家で、「士魂商才」を唱え、実業には武士の高尚な精神と商売の才の両方が必要だと説きました(現代語訳「論語と算盤」ちくま新書)。
渋沢栄一は、生粋の武士でなかったからこそ、武士に憧れ、武士の精神を実業の理想としたのでしょう。
いつの時代の職業も、常に変化しつつある経済社会に応じた対処が求められます。
弁護士は明治からずっと続いている「士」業ですが、時代の変化に対応して「うりかい」で身を立てる工夫をすべきことは、他の職業と変わりがありません。
特に現在、訴訟件数は伸び悩んでいるのに、弁護士の数は4万人を超え、ネット利用も拡大していますから、弁護士も今まで以上に「商才」が必要です。
弁護士に限らず「士」業にとって、「士族の商法」から脱け出し「士魂商才」へ向かえというのは、現代でも有効な教えです。
しかし、だからといって利益追求が第一となっては、弁護士資格は公的役割を果たすから与えられているという根本を忘れることになります。
「新明解国語辞典」(三省堂)は、「士魂」の意味をわざわざ「失ってはならぬ、武士としての精神」としています。
渋沢栄一の「士魂商才」の教えは、「商才」だけになってはいけない、士魂を忘れるな、という警告も含んでいるのです。