麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

スマホは「魂度」を下げ、紛争型人間を造る

今日も電車の隣の席で若い女性がスマホ画面で必死に指を動かし、ゲームに熱中しています。
駅では、周りを見ないスマホ歩きの人とぶつかりそうになるのはしょっちゅうです。
こういうスマホ中毒の人を見ると「魂度を下げているなぁ」と暗い気持ちになります。

「魂度」とは聞き慣れない言葉ですが、「魂」のサイズ、大きさのことです。
アメリカの認知学者ダグラス・ホフスタッター(以下ホフさん)によると、魂には大きさがあり、人間の魂度は大きく、蚊の魂度はとても小さい。
犬猫はその中間位。
人間は、蚊を殺すには躊躇がないけど、犬猫は簡単には殺せない。
それは動物の「魂度」のサイズが人間に近いからだというのです(「私は不思議の環」白揚社2018年7月刊)。
「魂」は「精神」とか「生命力」と言ってもいいと思いますが、確かに動物によって周囲をカバーする能力の範囲は全く異なります。
ホフさんはそれを「魂度」という大きさで表そうとしているのです。
人間同士でも魂の大きさは違います。どうして人によって魂の大きさが異なるか。人間は生まれてから、叱られたり失敗したりの経験を重ねて育ちます。
過去の出来事をシンボルとして脳に記憶として蓄え、新たな経験の度に過去のシンボルを呼び出し、さらに教訓として蓄積していくというフィードバックを繰り返します。それによってその人独自の反応や行動のパターンがループ(環)のように出来上がりそれが「私」という意識になる、というのがホフさんの説明です。
このループの大きさが、人間の「魂度」です。
人の経験は個別的で千差万別なので、ループの大きさは人ごとに異なります。

多くの人と接し、広い世界や他人を受け容れる経験を重ねれば、ループは大きくなります。
大きなループの、「魂度」の大きい人は、自分の中にたくさんの他人を抱え込んで許容していますから、寛容な人物になる訳です。ホフさんは、アリを踏みつぶそうとした子供に「僕のアリを殺さないで」と注意したシュバイツアー博士を大きな魂の人の例に挙げています。これこそ「こころの広い人」ですね。

これに対し、最近話題の著書「ホモ・デウス」(河出書房新社2018年9月刊)でユヴァル・ノア・ハラリは、「魂は進化しない」、進化するならその部分があるはずだが、それがない。
そもそも「魂」などないんだ、と魂に否定的です。
ホフさんの説についても「あら不思議!このループから、意識がひょっこり現れる」と揶揄し、「50年前ならいざしらず、今ではそうはいかない」とバッサリ切り捨ています。
でも、脳科学研究の最先端を報告している櫻井武先生の「『こころ』はいかにして生まれるか 最新脳科学で解き明かす『情動』」(講談社ブルーバックス2018年10月刊)によると、目に見えない、部分のない筈の「こころ」も進化していますし、ホフさんの説は櫻井先生の説明でも裏付けられていると私は思います。

櫻井先生によると、「生き物」は「情動」と「認知」という脳と全身の働きで外界からの刺激に対応しています。「情動」によって生き物の身体は無意識に反応しますが、それは「認知」の冷静な判断を待っていては手遅れになるからです。
素早く獲物を捕まえ、あるいはさっと危険を避けるためには、情動こそ生き物には不可欠な機能なのです。
人間も、外からの刺激から視覚などの感覚が受けて、情動系と認知系の二つの神経系が、脳と身体全体として反応し、さらに脳と全身を循環します。
その情動系・認知系という二つを合わせた動きが「こころ」だというのが櫻井先生の説明です。
そういう反応の経験の循環が記憶として蓄積され、ループになると考えれば、ホフさんの説につながります。
「こころ」動かすのが魂ですから、「こころ」と魂は表裏一体で、「こころ」の進化は魂の進化だと言えるでしょう。

人間の「こころ」は、人類の歴史とともに周りへの気配りや細やかな配慮ができるようになってきていて、反応の精度が上がってきています。
つまり「こころ」が進化しているんです。
人類は、動物と共通の情動系の脳(大脳辺縁部)だけでなく、認知系の脳(大脳皮質)を発展させて、器質的にも進化してきました。また、櫻井先生によれば、人間の脳には「共感」を感じる部位があり、さらに他人の痛みを同じように感じるミラーニューロンがあります。
このように人間の脳には他人との協調が図る仕組みが出来ていますが、この協調の許容限度は、人類の歴史とともに広がってきたと思います。戦争や残酷な行為が少なくなってきたのは「共感や社会性」が人類に広がり、つまり魂が大きくなって、人類の「こころ」の機能が「進化」したからです。

個人の場合、人生経験によってループが大きくなることもありますが、逆に「こころ」や魂が小さくなることも起こりえます。スマホのゲーム中毒者のループは、常にゲームと自己の脳の快感だけで小さく循環して広がりませんから、大きなループは育ちません。偏狭な小さなループは、排他的で他人を許容しません。周りを受け容れませんから、周りから隔絶するか、あるいは周りを支配しようとします。だから魂度の小さい人は紛争を起こすタイプの人になるのです。

魂のループを小さくする危険は、スマホ中毒だけでなく、孤立する生活にもあります。年を取ると、いろんな人に会ったり、会合に顔を出すのが億劫になります。
そうなると孤立して自分の世界を狭め、ループがどんどん小さくなってしまいます。
最後には偏屈な暴走老人になりかねません。
ご用心、ご用心!