麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

ベートーベンの1番交響曲と初めての大事件

亡くなった音楽評論家吉田秀和さんの番組が、NHKFMでこの夏に再放送がされました。吉田さんの解説でベートーベンの1番交響曲を聴きながら、弁護士としての一番目の大仕事はなんだったか思い出してみました。弁護士になった当初からいくつか大きな事件の弁護団に誘われて参加しましたが、印象深かった大事件は、事務所の大先生D弁護士から贈収賄事件弁護団に加えて頂いたことでした。なりたての弁護士がそれほど役に立ったとも思えませんが、私としては一生懸命でした。その弁護団に加わった元検事長のN弁護士は、私と先輩のS弁護士がいくつもの段ボールに詰まって刑事記録を丁寧に読み解く作業ぶりを見て「弁護士がこんなに仕事をすると思わなかった」と言って頂き、事件は見事無罪となりました。

考えてみると弁護士の仕事は作曲家というより、演奏家になぞらえた方がいいでしょう。大きな事件は弁護士が複数で取り組みますので、オーケストラのように指揮者が必要です。駆け出しの弁護士は最初、オーケストラの末席で楽器を与えられ、それからだんだんと主要パートを任されるようになってくるという具合でしょうか。そして今では、むしろ私自身が指揮者になって、演奏家であるアソシエイト弁護士を「いい演奏をしろ」と叱咤激励し指導している立場になっています。

裁判では、裁判の証拠が楽器であり、それを使っていい演奏ができれば、聴衆である裁判官を魅了できるという訳です。「証拠という楽器」と「論理構成という演奏技量」が、裁判という演奏舞台でどういかされるかが、弁護士の腕の見せどころです。

では「曲」はどこにあるのでしょうか。曲は事件の「すじみち」です。当事者の話、事件記録から、事件原因や問題点、解決の方向性などの「すじみち」を読みとって、これが「この事件の曲だ」と判定して演奏していくのです。まず「すじみち」という「曲」を読み違えてはいけません。また演奏家ですから曲と関係なく勝手に演奏してはいけませんが、創意工夫を忘れてもいけないのです。

 さて、ベートーベンが1番交響曲を作曲したのは29歳の時で、弦楽4重奏曲6曲などすでにいくつかの名曲も作曲していました。オーケストラの配置、4楽章構成などハイドンなどの伝統を踏襲しながら、新機軸の交響曲を模索して、いわば満を持して取り組んだのでしょう。1番交響曲は2番以降と比べ、ぎこちないと評されますが、宇野巧芳さんが「質実剛健な充実ぶりにはさすがと思わせるものがある」というとおり、初めからベートーベンです。福島章恭さんは、ベートーベンの9つの交響曲を評して、「1番の決意に満ちた前奏から9番のプレストの歓喜による終結まで、すべてが予定されていたように思われる」と書いていますが、ベートーベンの9つの交響曲は「一つの宇宙の誕生と終末までのドラマ」に例えられるのではないでしょうか。「宇宙が始まる前には何があったか」(ローレンス・クラウス・文藝春秋)によれば、なにも無い空間にも、物質が生まれるまえに正と負の強力なエネルギーが充満しており、ちょっとした「揺らぎ」でビッグバンが起きて物質が発生したとされます。ベートーベンも1番交響曲が生まれる前に、ふつふつと沸いた構想と情熱がせめぎ合ってエネルギーが蓄えられ、どっとあふれ出て次々と交響曲が生まれた、そういう光景が見える気がします。

この9曲のベートーベンの交響曲のうち、私は8番交響曲が一番好きです。9番のエネルギーを出し尽くした圧倒感より、軽快な明るさを楽しんでいる余裕が感じられる8番が好ましい。最後の9番の人生の総仕上げに行く前に、ちょっと楽しもうとしているように感じます。

今の私には8番が心地いいのですが、それは「もうすぐ終わり」だからでしょうか。いやいや、「9番交響曲合唱付き」のような大きな仕事はまだ済んでないから、「まだまだだ」ということなのでしょう。