麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

セルフ・スターターと老体の心得

ただボスから与えられた目の前の課題だけを処理すればいい、と考えて「言われたことはきちんとできるが、自分からは動かない」タイプは、事件全体を見通して解決に向けて自分から動くことをしません。しかし、それではどんな優秀な弁護士でも、紛争や悩みを解決して欲しいという依頼者の願いに応えることはできません。そこで私は、若手弁護士に、自分から自分を動かす「セルフ・スターター」になれ、と口を酸っぱくなるほど強調しています。

さて年を取ると、自分の身体が「セルフ・スターター」でなくなること、否応なく思い知らされるようになります。70歳のときキケローを読んだ横尾忠則は「年をとって肉体は欲望から解放されて自由になる」と老年の良さに気付いたそうです。ローマの政治家キケローは「老年について」(岩波文庫)のなかで「老人は、あらゆる欲望の服役期間が満了し、心が自足するようになる」と老人を称賛しています。

しかし、こうなると肉体が人生の主役の座から降りてしまいます。欲望が否応なく肉体を支配していたときは、欲望の目標に向かって「肉体の力」が発揮され、自然と身体が動いていたのに、年をとるとそれがなくなります。身体は「もうあなたの欲望に十分尽くしたのだから、これからは楽させてよ」とぐずって、怠けたがります。気合いを込めて「動け!」と命じないと、身体は動こうとしません。「老体に鞭打って」という表現がありますが、鞭打たないと老体は動かないのです。合気道も60歳を超えたころから新しい技がなかなか身につかなくなりした。「老犬に新しい技は教えられない」ということわざは、年をとると身体がもはや「セルフ・スターター」でなくなることを述べている訳です。

こうなると重要なのは、身体を鞭打つ「精神(スピリッツ)」の方です。もはや「セルフ・スターター」ではなくなった身体に、自然に動くことは期待できません。それを待っていては人生が朽ち果ててしまいます。精神を鼓舞して、常に身体に「動け」と命じて楽をさせない、これが老体の心得というものでしょう。

では「セルフ・スターターになれ」と口を酸っぱくして説教しても、セルフ・スターターになれない(ならない)若手弁護士はどう扱えばいいのでしょうか。ボス弁護士としては、私の老体を鼓舞する私の精神と同様に、常に若手弁護士を強く叱咤激励して、無理矢理でも「動かす」しかない、というところでしょうか。