文書の威力も「足して二で割ら」れてしまうのか?
裁判官はどうも「性悪説」に立っているように思えます。裁判での原告・被告どちらの供述についても、自分に有利にするために嘘をついているのではないかと疑ってかかっている節があります。では、裁判官が何を根拠にどちらの言い分が正しいかを判断するかというと、「書証」つまり「書面という証拠」に頼ります。つまり、どちらの言い分が書証とつじつまが合うか、を決め手とするわけです。もちろん証拠となる書面には、本物の署名・捺印があり、原本であることが必要ですが、この原本が証拠と提出されれば「あなたは法廷ではいろいろ言うが、当時この書面にあなたが署名捺印したことに間違いないのでしょう。今となって、この書面に書いてあることと違うことを言っても通りませんよ」という訳です。このように裁判では、書類が証拠として決定的に重要です。例えば「権利証」「借用書」などの証拠となる書類の原本を持っていれば「その人が権利者だろう」と強力に推定されます。
中世の時代から、「本証文」「本券」(あるいは取得したことの証である「売券」)などの証文を持っていることが、自分が正当な権利者であることを示す決定的な証拠でした。
笠松宏至氏の「法と言葉の中世史」(平凡社ライブラリ)にある逸話ですが、当時お寺に土地を寄進した人が、この土地は仏様のものになるべき「仏物」であることをはっきりするために、なんと「本証文」「本券」を焼却してしまった例があったそうです。その証文に威力があるゆえに、証文をお寺の僧侶に渡すと、僧侶が自分のものだとして(「僧物」として)勝手に処分するおそれがあったからです。文書の所持が権利者であるとする威力は昔から絶大だったのです。
では、争う双方ともがその証文を持っていたら、どうなるでしょうか?これも笠松氏の前掲書にある逸話です。
鎌倉末期の土地の争いで、双方が「売券」という証文を所持して所有権を主張し合いました。一方は「往代の本券」を、他方が本主の「譲状」をもってお互いに譲りませんでしたが、双方の文書とも真偽が不明でした。双方ともに持つ「売券」という証文の威力をどう扱っていいか、お上を困惑させた訳です。
いまならこの争いは、鑑定や証人喚問をして真偽を発見し、あるいは立証責任(どちらに立証すべき責任があるかを先ず決め、その責任あるほうが立証できないならその言い分を認めないこと)によって決着をつけるでしょう。
困った検非違使庁の官人はどうしたか?結局、「往代の本券」を持っていた者から、「譲状」を持っていた者に、その取得代金を支払わせ、往代の本券を持っていた者の所有として決着しました。これは文書の威力に目をつぶって「足して二で割った」なんとも安易な解決でしたが、当時の官人は「折中の義」に従ったものだ、と理屈をつけました。律令に根拠があるとされる「折中」が正義であり、「両方訴訟は折中」という論理によって「無為」に収めるというのが、我が国の法思想でした。ここにみられるように、鎌倉時代以来、理か非をきちんと審理する「入理非(いりひ)」は主流になれず、実質審理を省略した「入門(いりかど)」方式によって紛争解決が図られてきました。どうもこの伝統は、今の裁判官の和解策「折中」案の源でもあるようです。
確かに「白黒つけない」のは「折中」に従ったものでしょうが、「足して二で割る」ことでどちらの文書も根拠にされず、双方から頼りにされた文書の持つ権威は、いわば粉々に「割られて」しまったのです。次に同様の訴訟が起こされたら、一体どうするのでしょうか。
こういう所有権をめぐる争いで、文書があるのに「足して二で割って」しまっては、文書そのものへの信頼が崩れます。審理によってどちらが本物の文書かを究明し、その文書の威力を吟味して、白黒をつけるべきでしょうし、現在の裁判では証拠を駆使し立証を尽くせばそれは可能でしょう。特に土地という「もの」の価値は、先祖からの利用や居住・生活の歴史、取得や維持の経過などその人のアイデンティティと深く関係しますから、到底他のもので代替できず、非人格的な数字にすぎない金銭対価の支払いで精算させることには無理があると思います。
文書が成立し、あるいは文書を入手した背景には、「もの」と「人」を強く結びつけた絆があります。文書がその絆の大事なシンボルであることは、今も昔も不変の真理なのではないでしょうか。