麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

白黒をつける

もめ事が交渉で解決しなければ、裁判で決着をつけるしかありません。裁判に持ち込めば、最終的には判決で、どちらの言い分が正しいか白黒がつけられます。白黒の白が勝ち、黒が負けというのは、相撲や野球などの勝負事での白星・黒星と同じですが、裁判がこれらと異なるのは、判定者である裁判官の存在の不可欠さです。裁判官が判定を下さなければいつまでも勝負は決着しません。へーゲル読解で有名な哲学者コジェーブは、法という現象の本質は、紛争当事者間の相互作用に公正無私な第三者(裁判官)が介入するという「三極構造」にあると指摘しています。法的紛争の解決には第三者である裁判官という判定者が決定的な役目を担います。(これに対し一般の勝負事では、勝負をつけるのは当事者であって審判は副次的な役割しかなく、「二者対立構造」が基本と言えるでしょう。)

さてこの白黒つける役目の裁判官は、黒い法服を着ていますが、これは染まらない黒色は裁判官が「外部からのいかなる影響も受けない」という含意だとされます。花嫁の純白のウェデインドレスが「これから何色にも染まります」という象徴であるのと、ちょうど正反対です。 先日、不思議な夢を見ました。古い病院のような建物中に私がいます。看護師のような白衣の女性に「どうぞこちらへ」と通されたのは病院の待合いのような椅子で、衝立の向こうでは白衣を着た医師のような人物が前の患者を診ているようです。看護師のように女性は「相手方から話を聞いていますのでお待ち下さい」と私にそこで待つよう指示しました。

そういえば私は依頼者と一緒です。相手が支払うという約束を守らないから裁判になり、裁判になったら一円も支払わないと抗弁している事案のようです。どうやら前の患者だと思ったのは、相手方の弁護士のようです。私が医師と思った裁判官から、私の番だ、と呼ばれたところで夢が終わりました。

どうやら日頃私が「紛争は病気なようなものだ」と言っていることが夢に反映されたようです。 医師の白衣は清潔さの証明ですが、「病気」と「紛争」というどちらも人間にとって「悪いもの」を扱う職業なのに、白黒反対の色の衣服です。医師の白衣は「悪いもの」としての病気を排除したという清潔さを感じさせます。裁判官の黒服は判断課程の厳格さを表現しているものの、黒服による判決宣言では、紛争が解消されたという開放感は与えられません。夢で見た白衣の裁判官は、紛争を一切解決してきれいになったという印象を受けたいという私の願望の現れかもしれません。

さて白黒をつける判決ですが、一刀両断にどちらかが勝ち、他方が負けとなる結論が、紛争の実体に即して見れば必ずしも望ましい解決とは限りません。また裁判途中では最終的にどちらが勝つかは不明なことが多いのです。そこで日本の裁判の45%程度では、判決を求めず双方歩み寄った「和解」という妥協的な解決を選びます。

いわば「灰色」の解決で、判例法が育たないなどの批判もありますが、和解だと上訴もなく終結し、また約束が成立すればその履行も期待できるので、現実的な解決だと言えるでしょう。 和解はいわば「灰色」決着ですが、灰色は「灰色高官」とか「灰色無罪」とか「本来ならクロかも知れないのに、シロ扱い」という不満の意味が込められ、特に刑事事件では「灰色=クロの疑いが残る」というマイナスイメージの色として使われます。

しかし、九鬼周造の「いきの構造」によれば「灰色」は「粋(いき)」な色なんです。「いき」の三要素の一つ「諦め」(他の二つは「媚態」と「意気地」です)を色彩として表せば、灰色ほど適切な色はなく、しかも深川鼠、銀鼠、藍鼠などもろもろのニュアンスがだせる色です。民事裁判において「和解」するとは、当事者が「自分が勝つ」ことを「諦め」て紛争解決を選んだということです。ですから裁判官も和解で解決する以上、白黒混ぜただけの野暮な灰色ではなく、当事者の「諦め」の心境に十分配慮した「いき」なニュアンスのある「灰色」での和解解決を図ってもらいたいものです。