麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

「スペース(隙間)」があると「もてる」が、「揉める」もとでもある

「30年間も女性の心を研究してきたのに、いまだに答えが見出せないのが『女性は何を求めているのか?』という大きな謎である」(心理学者フロイトの言葉)。

フロイト先生でさえ解けないと嘆いた大きな謎が男女の違いですが、歌人の穂村弘さんは、作家の角田光代さんとラリー形式で意見を交換し合って、二人で次々と男女の違いを解明していきます(角田光代・穂村弘「異性」河出文庫)。

男性は今を連続して考え、固定を恐れるが、女性の脳は現在優位で変化を恐れ、非日常体験を求める。
男性にとって「モノはモノ」だが、女性にとっては「モノはワタシ」。女性は社会との接点となる連動ラベルが必要で、ブランドがその連動ラベルとして「ワタシはこういう人です」を示すもの、男性の会社や肩書や名刺に近い。
恋愛の感情移入は、女性は長編劇画で、男性は4コマ漫画の集まりだ。
などなど小気味よく男女の違いがリストアップされていて、フロイト先生も「ベストアンサー!」とガッテンしてくれるかもしれません。

なかでも「なるほど!」と感心したのは、二人の出した「もてる人にはスペースがある」という結論。美醜でも内面性でもない。
例えば、時間管理がきちんとして、仕事も余暇も隙間なくスケジュールをビッシリこなしている人や、常に自分を主張し自分の姿を大きく見させ周囲を圧倒しようとする人には、スペースがない。

ピッチリの服を着ている人とか「暑苦しい人」というイメージでしょうか。
これに対し、いわば「隙間がある」感の人には、異性も近づきやすい。
これは、その人の「私の世界」と周囲の世界との境の壁が、あちこちに隙間があって、他人がその人の世界に入り込みやすい、ということでしょう。

こういう「スペースがある」人は、確かに「もてる」かも知れませんが、他方では「揉める」もとにもなります。
自分の周囲のスペースを広げると、招かざる客も来てしまう。ファン層を広げようとするタレントが危険な目に合うのも、その例です。
「隙に乗じる」「隙をうかがう」という表現も、「隙間は危険だ」と教えています。もてる人はリスクも負っているようです。(もてないから安心?)

そもそも紛争は、それぞれの「私の世界」領域の間にある「スペース(隙間)」を巡る「場所の奪い合い」だと言ってもいいのではないでしょうか。
戦国の時代の大名同士の領地争いはその典型です。

応仁の乱は、応仁元年1467年から文明9年1477年までの10年間もダラダラと続いた戦争です。
なぜ長引いたのか?
細川側も山名側も、どちらも「天下統一」などという大それた野心はありません。室町幕府の下で主導権を取りたかっただけで、より広い領地を確保した有利な時点で和解をしたい、というのが本音でした。
確定した自分の領地以外に「隙間」がある、つまり、まだ「スペースが残っている」とどちらかが考える間は、その奪い合いの戦いが続いたのです。

呉座勇一さんの「応仁の乱」(中公新書)は、興福寺のトップだった経覚と尋尊の当時の日記の感想や記述を元に、現代の歴史家としての呉座さんが後で判明した膨大な資料と文献を突き合わせて全体の動乱の流れをコメントしながら整理しているので、ドキュメンタリー映画のような、リアルで生き生きした「戦争現場の報告書」となっています。
これを読むと、応仁の乱は「隙間の奪い合い」の戦争だったのではないかと感じます。

「動乱の日本中世」は、一揆の時代でもありました。
この時代の一揆は江戸時代の百姓一揆とは異なり、農民のみならず僧侶や武士も多く参加しました。
呉座さんは、一揆が登場したのは、南北朝の動乱期に既存の秩序や価値観が崩れたからで、時代の変化に対応した新しい人間関係の模索から生まれた「ソーシャル・ネットワーク」が一揆であり、現代日本で「ひとのつながり」を考える参考になると評価しています(呉座勇一「一揆の原理」ちくま学芸文庫)。

今の日本は平和ですが、「隙間」は至るところにあります。
「隙間」があればそれが「揉めるもと」になって、日常生活でも企業活動でも、紛争が起きることにもつながります。
でも、逆に「隙間」がない某国のような社会では、紛争は起きないかもしれませんが、息苦しくて人々は窒息しかねません。

紛争があるのは、「隙間」があるという社会の健全さの証拠です。
また、人々同士が自発的に「つながり」を求めるためにも、「隙間」という余裕は必要です。だから紛争があることが一概に悪いとは決めつけられません。

そして動乱の日本中世を振り返ってみれば、紛争のただ中でも、紛争解決に役立つ「弁護士」がちゃんといました。
中世の一揆では、時には室町幕府と妥協的な駆け引きを行うために、一揆側で弁護人のような役割を果たした武士が存在したそうです(前記「一揆の原理」)。
現代の紛争社会でも、役に立つ弁護士が存在しています。
ですから、紛争に巻き込まれたからといって落ち込むことはありません。