麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

合気道の「道」と弁護士業

15年通った日本武道館、武道学園の合気道も「年齢制限」でこの3月(平成27年)を以て卒業となりました。卒業に際して合気道の稽古仲間が開いてくれた送別会の席で、私が内田樹さん(合気道七段)のファンだと知っていた藤巻師範から、内田さんの「修業論」(光文社新書)を餞別に頂きました。

この本で内田さんは、武術の稽古を通じて開発される能力で最も有用なのは「トラブルの可能性を事前に察知して危険を回避する」能力である、稽古で身につけるべきは「危機の下で生きている」感覚、「生き延びる力」だ、述べています。弁護士というのは「法律」と「紛争」という「危険物」の「危険物取扱資格者」のようなものです。危険物にはリスクが付き物ですから、リスクを回避し軽減する工夫が必要です。我々の弁護士の仕事そのものが「他人様の財産トラブル」を扱うものですが、それでも余計なトラブルやリスクは回避すべきです。合気道の稽古を始めた私の着眼は的外れではなかったようですが、修行というには程遠く、能力が開発されるまでの道のりは、まだまだはるか先のようです。

内田さんはさらに、武道の稽古をする道場は「楽屋」であって「舞台」は真剣勝負の「正業」の場である、稽古は「正業」に活かされねばならない、武道の修業は「ゴールのない未知のトラック」を走るようなものだ、とも説明しています。ですから武道の「道=稽古」の考えを正業に当てはめてはいけないでしょう。弁護士は「正業」であって「修行」や「稽古」とは言えませんから、「弁護士道」という言い方はおかしいと思います。これなら仕事で失敗しても「良い勉強になった」「次に頑張ればいい」で終わってしまいます。それでは正業としての覚悟が足りないことになります。

武士道の修行によって「ずっと白刃の下にいる」という主体が生まれる。厳しい修行を重ねて江戸三大道場の各塾頭となった桂小五郎、武市半平太、坂本竜馬の三人だったからこそ、「正業」ともいうべき幕末維新回転の中心的な志士となった。この分析はさすが武道家内田さんです。司馬遼太郎にはなかった着眼点です。江戸中期の「葉隠」(山本定朝)の「武士道とは云うは死ぬ事と見つけたり」は有名ですが、「正業」としての武士とは「いつでも死ぬ覚悟ができていること」であって、武士道の修行とは「いつでも死ねる」ということを繰り返し覚悟させる訓練の場だったのではないでしょうか。

さて、面白いのは多田先生(内田さんの師)の「信仰をもっているイタリア人は目に見えない、耳にきこえないものがこの世にあると素直に信じるから、合気道を教え易い。日本人は頑なだ」という話です。信仰があるということは、五感で捉えられないがリアルに切迫するものがある、という実感を持つことだと内田さんは解説しています。イタリア人が「この世」には感性でとらえられないものがあると信じ、日本人は「この世」で見えないものは存在しないと考えるということでしょう。西洋人は感性で捉えらない「あの世」が「この世」と繋がってあると考え、「あの世」を追求しそれが宗教や科学になった。それに対し、日本人は感性で捉えられないものは「この世」には存在しない、と考えて「あの世」を追求しようとしなかったから宗教も科学も発展しなかった、という吉田博司先生の指摘(「ヨーロッパ思想を読み解く」ちくま新書)に通じます。

確かに私たちは「信仰を持っている」という実感はありませんし、日本に特定の支配的な宗教はありませんが、眼に見えないものを畏怖するという意味で日本人にも「宗教心」があるのではないか、ということはよく指摘されます。アメリカ人の社会学者R.N.ベラーは、日本には仏教・儒教・神道の流れが融合した一つの宗教があったと指摘しています(「徳川時代の宗教」岩波文庫)。私は、武士道の「死と隣接せよ」という倫理感が日本人の宗教心を育てる面で影響が大きかったのでないかと思います。平和な江戸時代において、武士階級が支配者である続けるには「武士のエートス(倫理観)」を維持する必要があった。今は戦(いくさ)はないかもしれないが、武士はいつ何時、死を賭して戦わねばならないかも知れない、だから常に死を覚悟しておくことが必要で、そのために武術や剣術が武士道の修業として用いられた。「この世」での生の終わりである「死」が常に寄り添っている、というエートスが育てられ、目先の利害にこだわるな、損得の計算で行動するな、そういう強固な倫理観が宗教のような役割を果たしてきたのではないか、と私は思います。こういう武士の倫理が一般化し、民衆全体の倫理となったとベラーは前著で指摘しています。

常に死の危険を感じていなければならない武士階級も消滅し、武士を支えるエートスも必要なくなりました。そうして現代武道としての生き残った古来の武道は「この世だけ」の「稽古」になってしまい、「死」によって支えられた武士道の精神は喪われてしまった、という訳でしょう。でも武道の稽古には続けるだけの価値があります。

さて上達もせぬまま(いまだに二段)日本武道館での稽古ができなくなってしまった私は、稽古場を探す「稽古難民」となってしまい、まずは合気道への「道」を見つけねばなりません。やれやれ「日暮れて道遠し」(史記)です。