麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

「大」弁護士と「名」弁護士

私も弁護士35周年を迎えます。弁護士の仕事には転勤や昇進などの区切りがありません。事務所の若手弁護士には、もっと日々自覚をして努力を重ねる必要がある、そうしないと何もしないであっという間に時間だけが過ぎてしまう、と警告しています。

わが事務所の若手弁護士の結婚式は、新郎のみならず出席した若手弁護士を叱咤激励するいい機会です。私は2回の結婚式のあいさつで、それぞれ「大」弁護士になれ、「名」弁護士になれ、とはっぱをかけました。要は、目先の報酬だけを追いかけるのではなく、また、安易に「大事務所」とか「有名弁護士」を目指すのではなく(ちょっと私の僻みがあるかも知れませんが)、高い志を持って社会に有益な仕事をして欲しい、ということです。

 

まず、「大」弁護士。普通の弁護士とどこが違うか。

これは、普通の「王様」や「皇帝」と、「大」がつく「大王」や「大帝」とはどう違うのか、比較すれば判りやすいと思います。

マケドニアのアレキサンダー大王は、紀元前4世紀にギリシャ・エジプトからインドまでの大帝国を築き、東西を融合させヘレニズム文化の幕を開けました。

コンスタンティヌス大帝は、90人の古代ローマ帝国皇帝のうちただ一人「大」がつく皇帝ですが、4世紀統一帝となり、キリスト教を公認しました。後にキリスト教国が世界の主流になったから「大帝」を献じられた、と塩野七生さんは皮肉っていますが、現代まで続く、欧米で発展したキリスト教国家の出発点となりました。

8世紀フランク王カール大帝は、西ローマ帝国を復活させ、西ヨーロッパの政治的統一を成し遂げ、今日のEUの基礎を作り、「ヨーロッパの父」と称されます。10世紀には、神聖ローマ帝国を創生したオットー大帝(ドイツザクセン朝)が出ました。その他には、17世紀ロシア帝国を確立したピョートル大帝、18世紀プロシャ絶対王政の頂点を築いたフリードリッヒ大王、などの大帝・大王がいます。

生前に「大王」や「大帝」という称号を奉じられるのは例外なく他国を侵略した王である、とここでも塩野さんは鋭い指摘をしていますが、普通の、王や皇帝は、自国内での統治・王位の安定・他国からの侵入排除など、国内のことだけでも精一杯なのに比べ、これらの大王や大帝は、一国内の事跡に留まらず、さらに国という「枠」を超えた大きなチェンジを齎し、世界史的規模で新たな時代を開いた人物だ、と評価されるのではないでしょうか。

私は日ごろ事務所の皆に、「壁を破れ」Every wall is a door to your future.あらゆる壁は未来への扉である、と檄を飛ばしています(前半はエマーソンの名言ですが、後半は私が付けたしたものです)。

自分の壁を破るだけではなく、弁護士という従来の概念の壁をも打ち破って、スケールの大きな大弁護士になってほしいと思います。但し、オットー(夫)大帝にはなるな、夫としては「小」夫だと、釘をさしておかねばなりません。

 

さて、次に「名」弁護士です。名人、名探偵、など、どうすれば「名」がつくようになれるのか。

「名文」の場合を考えてみましょう。谷崎・三島・丸谷・井上ひさしまでの文章読本、中村正さんの「名文」の書き方などを読んで、どうすれば「名文」が書けるのか、私は悩んだ末に、ポイントは2つだ、と気付きました。1つは、自分にしか書けないことを書くこと、もう1つは、誰にでも受け入れられる方法で書くということです。

一言で言うと、「みんなに認められる独創性」オリジナリティだと思います。これが「名」がつくポイントではないでしょうか。

例えば「私の母」というテーマは、誰でも書けますし、また、個人的エピソードを、他人が読んで面白い、という名文にするのはまず無理、とされます。しかし、さすがに、小林秀雄は別格です。フランスの哲学者ベルクソンを論じた「感想」という作品の冒頭で、おっかさんが蛍になって飛んでいた、という話が出てきます。蛍や水道橋ホームからの転落事故の記述を通じて、私たち誰にでもある、母親への感謝と愛情と憧憬を、鮮やかに呼び起こしてくれる名文だと思います。

では、どうすればそういうオリジナリティが身につくのか。この「感想」の中で小林秀雄は、人がオリジナリティに出会うためできることは、「自我の自然的な、社会的形成に逆行する烈しい、果てのない努力ができるだけである」「絶望に耐えながらの長い忍耐」である、と断じています。

みんなから「彼にしか出来ない」と信頼され、依頼者が殺到する、そういうオリジナリティ溢れる弁護士になるために、人並みではない努力・精進を重ねて欲しいと思います。

ちなみに、「感想」はベルグソンが生前出版を禁じた話からベルグソン論が始まりますが、この時点では、まさか自分がこの「感想」の出版を禁じることになるとは思っていなかったでしょう。文筆を残す文筆家の宿命と思索の苦悩の跡を共に残したベルグソンと小林秀雄、二人の因縁を感じざるを得ません。

 

ところで、この世には、どんな名探偵でも解けない、名弁護士でも解決できないなぞがあります。フロイトは「女性のなぞについては、人類はいつの時代にも穿鑿せんさくに穿鑿を重ねて今日に至っている。」としています。フロイトでさえ解決できなかったなぞについては、我々凡夫が解決しようなどとは夢にも考えない方が無難である、ということで、結婚式のあいさつの話を締めくくりたいと思います。