麹町道草日和
ちょっと一息。みらい法律事務所の所属弁護士によるコラムです。

ハイヨー!きばれシルバー

フランスの哲学者ベルクソンの「物質と記憶」によれば、知覚は、生き物が今、行動を選択しようとする生命力の表れであり、記憶はその今の選択を助ける過去のデータベースです。
人間は年齢を重ねるほど、このデータベースが豊富になり、選択の幅が広がります。中国の古典「菜根譚」でも「日既に暮れて、而も烟霞(夕景)絢爛たり。歳将に晩れんとし、而も更に橙橘芳馨たり。」つまり、年を取れば、夕日が輝き蜜柑にいい香りがするように、一層味わいが深くなる、としています。弁護士もベテランほど経験豊富で頼りになるのです。

さてここまではいいのですが、加齢とともにワーキングメモリー、作業のための一時的記憶機能は衰えます。あれこれしようと思っていても、一つのことをやるとそれに気を取られ他のことを忘れてしまいます。
ベルクソンは、記憶の障害は、知覚がうまく記憶から情報を引き出せないという「呼び出し機能」の衰えだといいます。それこそ、年を取ると生命力が衰えがちだ、ということでしょう。
だからこそ、菜根譚は、続けて「故に末路晩年、君子更に宜しく精神を百倍すべし」(前集196)とアドバイスしているのです。つまり、君子は晩年に際してこそ、気力を充実させねばらないのです。(湯浅邦弘「菜根譚 中国の処世訓」中公新書)

 アメリカの第二代大統領ジョンアダムスが「年取った心は年寄りの馬と同じだ。どちらもきちんと働かせるには訓練が欠かせない(Old minds is like old horses; you must exercise them if you wish keep them in working order.)」と言ったのも同じことです。
年寄りは、精神力を強化して生命力を奮い起たせろ、ということです。

「ハイヨー!きばれシルバー」は、ローン・レンジャーの愛馬のような「張り」を取り戻し、精神を鼓舞するために、私が今の自分に「喝!」を入れる掛け声です。

「シルバー」は我々白髪世代を象徴する言葉ですが、また、子供のころTV西部劇で見た「ローン・レンジャー」の主人公の、真っ白な愛馬の名前でもあります。
ローン・レンジャーが愛馬にまたがり、「ハイヨー!シルバー(行くぞ!)」と声を掛けていたのを思い出します。それと「きばれ」ですが、子供のころ「がんばれ」という意味で、よく大人から「きばれ」とか「きばんなさい」と励まされました(「がんばれ」という用法は鹿児島や関西方面だけのようです)。
私はこの掛け声で子供のころの生命力を呼び戻そうとしているのです。

 GHQ最高司令官だったダグラス・マッカーサーが「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」と言い残して引退したのは71歳(1951年4月)でした。
しかし、最近のミステリーでは、退職後の老刑事が活躍するものが目立ちます。

米国のミステリー最高賞を受賞した「ミスター・メルセデス」(スティーブン・キング作)で、メルセデス・ベンツでの大量無差別殺人の犯人を追いかける主人公ホッジスは、退職した元刑事で62歳ですが、これはまだ若い方。
「もう年をとれない(DON’T EVER GET OLD)」(ダニエル・フリードマン作)の元刑事バック・シャッツは87歳で、「もう過去はいらない(DON’T EVER LOOK BACK)」とシリーズも二作目になり、ミステリーベストテンの常連となっています。
また、映画にもなった「MRホームズ名探偵最後の事件」(ミッチ・カリン作)では、93歳となった引退後のシャーロック・ホームズが、過去の未解決の事件に挑むという設定です。
ミステリーの読者も高齢化が進んだので、ミステリー好きな老人読者を多く獲得しようという巧みな戦略か、とも勘ぐってしまいます。

 彼らの活躍は小説の上とはいえ、励みになります。
とはいえ、この活躍にはちょっとした「仕掛け」があります。
彼ら老刑事・老探偵にはみんな若い助手がいるのです。
ホッジスには近所の若者ジェロームが、バックには孫の大学生ビリーが、ホームズは家政婦の息子のロジャーが付き添う、という具合です。この助手たちはみんな10代かせいぜい20歳前後です。
生命力にあふれ、記憶容量の空きスペースもたっぷりある助手たちが、生命力も記憶容量も衰えた老刑事・老探偵を補佐しているのです(MRホームズではロジャーが亡くなってしまいますが、それこそ「最後の事件」を象徴しています)。
年齢とともに記憶を蓄積しようとする力の衰えは如何ともしがたい。
私は依頼者との打ち合わせに、アソシエイト弁護士を「外付けハードディスク(外部記憶装置)」として同席させます。
10代の助手とまではいかないにしても、彼らの記憶容量の空きスペースは、少なくとも私よりは余裕があるでしょうから。

 亡命ロシア人ピアニストの鬼才アファナシエフは、67歳にして初めてベートーベンの三大ピアノソナタ「悲愴・月光・熱情」を録音し(2015年)、大きな反響を呼びました。
彼のインタヴュー「ピアニストは語る」(講談社現代新書2016年)を読むと、その意思の強靭さ、精神力の強さがひしひしと伝わってきます。
私も負けてはいられません。ハイヨー!きばれシルバー!!